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高山利勝 高山利勝は、岡山県岡山市北区清輝橋四丁目に事務所を構えた高山組組長。 【経歴】 【出典】 PR |
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西山久雄(1928-2010) 西山久雄は、西部連合総裁を務めた侠客。 西部連合は、佐賀県唐津市を本拠とした任侠団体。 【経歴】 昭和三年三月二十六日、唐津市にて生誕。 地元の中学卒業、上京し城東高校へと進学。 下宿先は江東区南砂町の親戚の家。 時は戦時中で、勤労動員を受け、荒川の近くにあった日本曹達の工場で勤務。 昭和二十年三月十日の関東大空襲で、下宿先の叔母、従弟の三人が死亡。 伯父と従兄とともに奇跡的に助かるが、大火傷を負い帰郷、治療に専念。 昭和二十一年十月、知人の男女の喧嘩に参戦、傷害致死罪で懲役三年の刑を受ける。 昭和二十二年には、進駐軍の命令により、釈放は無くなり、佐賀刑務所に服役。 獄中で傷害事件を起こし、懲役三年の刑を受け、熊本刑務所へ。独居房となる。 また、諫早刑務所へ移送。しかし、再び傷害事件で懲役七年の実刑。 昭和二十七年のサンフランシスコ講和条約で恩赦、少年時の犯罪が三分の一の減刑となる。 昭和二十九年八月、熊本刑務所を出所。唐津へと戻る。 昔の仲間とともにパチンコ屋の用心棒をはじめ、さらに町の治安安定のために奔走。唐津は平穏を取り戻す。 昭和三十一年に、三十人ほどのメンバーで『西山組』旗揚げ。 賭博開帳図利罪で宮崎刑務所へ二年半の刑。 『西部連合』へ改称。 渡世引退、僧侶となる。 2010年、死去。享年82歳。 参考:山平重樹『山平重樹の・・・忘れられない親分たち 元西部連合総裁 西山久雄氏』(実話ドキュメント 2011年1月号) |
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